宮城三陸3.11東日本大震災追悼記念会準備委員会は、クリスチャンが各現地で活動しているネットワークです。
今年は、気仙沼市でセレモニーを開催致します。
12日は、石巻ネットワークにおいて行われますので、続けてご参加下されば嬉しく思います。
セレモニーの中で、ビデオレターによる励ましがあります。
ハワイ、上海、九州からのメッセージが届いています。
さんさん商店街が3月3日に新しく営業された。新規オープンということもあり、駐車するところがない。また、沢山の人が来られている。今日は金曜日なので、三日間は混雑するだろう。
店内は、以前の商店より広く、Cafeスペースがあります。
とても、綺麗で見た目も良い。さらに回りの整備も進んでいけば、この為だけに出向くのも良いだろう。
震災を覚え、命の尊さを将来に伝える場所となると考えます。
ですが、人々の生活環境としての環境はどうか、それはこれからで、早くとも見えてくるのは今年末からと思われる。
何はともあれ、先が見えてくる事は良いことです。
2011年に商店街への思いと希望を聞いた。それがいよいよ、実現出来た事に涙がでます。本当に頑張りましたね。
ぜひ、南三陸町さんさん商店街に来てみて下さい。
藤沢市を案内して戴いた。そして、一番古い民家へと寄りました。ここは老夫婦が生活しています。新しい家もあるようですが、そこでは住みづらいようで、下記の写真に住んでいます。雨漏りもひどいようですが、屋根を修復するのに、なんと1,000万円はかかるということ。屋根の材料は現地ではもうないようです。そして、「お邪魔します。」と中に入ると、一体の仏像がありました。その仏像を動かすと、十字架が書き込まれています。棚には魚の切り子が飾られています。
つまり、先祖がキリシタン。詳しい事は分からないようです。滅多に行けない場所に案内され、実に感動しました。
私が住む、前の畑に目を向けると雑草が沢山生えてきた。
実は、この畑、後期高齢者独居老人で、1月末から緊急入院されている。
いつ頃退院するかは不明だが、見て見ぬふりは出来ず、雑草取りをした。
植えているのはタマネギだが、タマネギの葉っぱに、雑草が絡み、栄養分を奪っているように思えた。
慎重に取らないと、タマネギまでがやられてしまう。
いろいろと頭に浮かび、良き学びとなった。
宮城三陸3.11東日本大震災追悼記念会準備委員会は、追悼会の最終チェックを行った。
そして、あと二日で震災日を迎える。実はこの時期になると、何か気持ちが重くなります。4年目よりも、5年目、6年目とその具合は重い。現場に向けて話しをする内容は、実は自分に向けての内容であるかとも思います。
しっかりせなぁ。と思いますが。
尼崎小田高等学校より依頼を受け、被災地訪問の企画をすることになりました。昨年も学生が仮設を訪問するなどして、住民方を励ました。今回は2回目の訪問ですが、当時の2年生、1年生は今の復興をみて、どのように思うだろう。
話を聞いてみたいと思います。
今回は引越の手伝い、コーラスなどを提供する。
また、将来は医療関係、福祉関係に進む学生さんなので、南三陸町病院、障碍者施設訪問も兼ねている。
17日、18日の活動終了後、バスで兵庫まで帰る。
ハワイから関氏ご夫妻(ホノルルチャーチ牧師)が、仙台に来られました。
関先生ご夫妻と私たちは、一日かけて、南三陸町と石巻市を訪問し、復興の状況を視察しました。
左の写真は、3月3日にOPENした阿部茶屋にて撮影。
最後は、大川小学校を視察し、そこで祈って仙台へと帰りました。
2017年3月11日、12日 追悼会セレモニーを気仙沼市と石巻市で開催された。
11日は130名の参加。12日は140名の参加でした。
「愛と希望のコンサート」と名付けられ、まさに一人一人が大切な存在であり、一人一人が価値のある尊い人であることが伝えられた。
来会された方の皆さまが笑顔で帰られた。そのお顔を見て、安堵したのでした。
2時46分のサイレンは、未だ多くの方の涙が流れます。
「6周年追悼」は、早いようで短いという、心が表れる時間となりました。
特定非営利活動法人仙台支え愛サポートセンター ミーティングを致しました。
南方イオン跡地第二集会所&伊里前復興団地にて、カフェ☕️&食事会を開催します。
特に、南方イオン跡地第二集会所は最後のイベントとなり、8月頃には閉鎖される予定です。
既に61世帯(4月末現在)で、イベントに集まる人数も10名程度かと思っています。
ですが、今回は仮設からでて行かれた方々も来て下さるとのこと。
本当に感謝でいっぱいです。
主催は上尾明社となり、長年震災支援に関わるベテランの方です。
伊里前復興団地は、今回が初めてとなります。イベント告知のため、訪ねて見ると、おや知っている方が地域の世話役となっていて、驚きとホッとしました。
新しいコミュニティなので、どのようになるかは不明。ですが知っている方がいるので、楽しみです。
【報告】
無事に活動は終わった。コミュニティ支援は、地域のコミュニティが必要とされる場所で展開する大切を確認した。決して、なにがなんでも、活動の為にではない。
遠方よりボランティアのために来て下さった、上尾明社には心から感謝を申し上げます。
キリシタン史跡探索に出掛けた。メンバー6名の探索だったが、墓石を見ていく姿は笑いでるほど奇妙である。
刻まみこまれた字から判断するキリシタンシンボルは、まんじ、釣り針、心、天、三位一体などがある。
年数は天保から明治に至る。
横山のとある山には、古い墓石が全体にある。
埋もれたものもあって、軽く手で土をどかして見る。発見が多いので時間は流れていきます。
*このような場所には、勝手に入ることがあってはいけません。また、決めつけるものではなく、時間をかけた調査が必要です。
最近は、資料館で声をあげて祈ったり、賛美したりと、地元に迷惑をかける方々もいます。ぜひ、ご注意下さい。
キリシタン史跡研究のメンバーと同行し墓石調査をしました。
先週の6月1日~4日、フルートとクラシックギター演奏による、グループ名「J・Symphone」(ジェイ・サンフォニー)コンサートとカフェを開催しました。大変好評でした。以下、簡潔に報告します。
会場は、気仙沼市本吉町にある「介護老人保健施設H」でした。ここに集まる皆様は、あの震災を体験された方々です。高台に建つこの施設は1キロほど降りると海に辿り着きます。そこに、震災後クリスチャンとなった女性が勤めています。その方の紹介によるコンサートを致しました。
最初は40分との約束でしたが、会場に集まった皆様からリクエストを沢山頂き1時間の演奏となりました。その後も皆様は童謡曲を口遊みながら部屋に帰っていきました。
復興庁に勤める方より、仙台市内のT町内会を紹介頂きました。ここは被災に遭われた方のために新しく作られた住宅街です。周囲が畑に囲まれています。ここに住む多くの方は、仙台市沿岸部に住んでいた方々です。
コンサートに集まった人数は21名で、皆様、和気藹々で互いに安否を問うていました。その中に、隣接する集合住宅に住む自治会長さんも、私たちと話をしたい事があるとのことで、参加してくださいました。
コンサートは1時間、アンコールも終えてから暫しカフェの時間を持ちました。その時、自治会長さんから話された切実な要請は、つまるところひとつ。「地域が元気になる為に協力をお願いしたい」という事でした。自治会長さんによると「外部からのアイデアによってコミュニティ形成が広がる」との事。
そもそも、コミュニティということを常に考えているのは、高齢者です。地域を支えていくであろう若者達はコミュニティ形成の必要性を理解できないでいます。いや、理解できないのではなく、生活を守る為にひたすら時間が取られているのが現実なのです。その現実を嘆きながら、自治会長さんはおっしゃいます。「震災後に集められた地域はお互いの交流を作る必要があり、また確実に高齢者が増える地域性を考えると安否を問えるコミュニティづくりは早急の課題となるのです。そこに力を貸して頂きたい」――私はこの要請を聞いて、確信しました。今、私たちは、この自治会長さんと一緒に課題に取り組まなければならない。この要請は、決して「甘え」や「経済要請」ではなく、心と心を向き合う為の知恵の要請である、と。
仙台市内の復興公営住宅「O市営住宅」でのコンサートを開催致しました。この住宅団地は、東北ヘルプとしても昨年からコミュニティ支援協力をさせていただいているところです。この日、参加者は25名でした。
復興住宅地として新しく建設され、完成したのが2年前のこと。1年間は自治会が出来ず、社会福祉協議会がサポートをしていましたが、その時から応援をさせていただいておりました。特に、自治会ができた昨年より、私たちと落合市営住宅の皆様の関係は深まっています。
ここに入居されている世帯数は約97世帯で、入居されている方は南三陸町、石巻市、仙台市からの被災者のみなさんです。最初は「隣がどこから来て、どのような方が住んでいるのかが分からない」とお話をされる方が多く、不安を抱く方がほとんどでした。たくさんの月日が経ち、自治会の努力もあって、今ようやく落ち着いてきたと言えます。
今回のカフェの時間に、私たちはまた、新たな状況の変化を感じ、そして、その変化に対応した自治会の努力を知らされました。自治会の皆様は、独居高齢者と生活苦、障害をもった方との交流などの工夫が必要だと考えて、例えば次のような工夫を展開していました。
(1)集会所を常に開放し様々な場面を用意する(ボクサーエクササイズ、卓球、裁縫など)。
(2)自治会会長をはじめとする相談窓口をつくり、必要に応じて支援センターや行政窓口に同行し、住む方々の安心を得る。
(3)自治会から外部支援団体に要請願いを出す。
以上のような努力がある中で、柔和と穏やかさが溢れる雰囲気がはぐくまれているのだと思いました。その雰囲気こそ、そこに住む方々の安全と安らぎを提供しているカギになっているとお見うけしました。実際、そこに住む方々もそのようにお話をされていました。
自治会はの方々は「自分たち自治会をサポートしてくれる外部団体があるので安心して地域を見ることができる」と、私たちに話してくださいました。「ここには、日本の将来が抱える不安の解決があるのでは・・・」と思いつつ、私はこの日、カフェで沸いたお話に聞き入っていました。
今年からは初の「演歌」ライブを実施する。
この試みは、福音を訊くのきっかけに過ぎない。
そのような取り組みは、想定外もあるかと思うのですが、
臆する事なく、真剣に、分かり易く、届くための最善を尽くしたいと思っているのです。
「三泗」明るい社会づくり運動より、今年の春「トイレットペーパー」を受け取った。今年で3度目になる。
始まりは、応急仮設住宅に設置されている「集会所」への支援となる。さらに言えば、応急仮設住宅が各所にでき、直後に集会所支援を行った。その際に台湾救助教会から清瀬グレースネットチャペルを通しトイレットペーパー、コーヒー、お茶、砂糖、クリープ、台所洗剤などの名付けて「談話室交流支援」を実施した。その資金も終わりを告げようとしたとき、続いて手を挙げてくれたのがイザヤ58ネット、続いて三泗明社となる。
お配りした仮設は10カ所となる。今では、復興団地に少しづつ移行し、安否を問い掛ける働きに用いている。それでも、まだ仮設はあるので、一箱持参したりして応援をした。実は集会所ほど人が集まるところはない。ボランティアも来るが集会所のものを使用したりするので、その負担は自治会となる。時々集会所を使っていない人からは苦情が出る。同じように共営費を払っているが、仕事をしている人などは平日参加は出来ない。なので、外部がコミュニティ支援をすることにより経費は軽減される。
トイレットペーパーされど、トイレットペーパーです。