令和6年能登半島地農により被災された皆さまに、

心よりお見舞い申し上げます。

被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。


   ↑  震災による活動などが掲載されています。


2011、3、11   14時46分 東日本大震災に見舞われて。


宮城県 仙台市に在住する キリスト聖協団仙台宣教センター(当時 西仙台教会)として、13年目を迎えるにあたり、災害発生直前からの振り返り。


惨事に見舞われた現状から。

震源 マグニチュード9.0    最大震度7  14時46分


仙台青葉区で、震度6弱、市内で死亡者が905人。津波は、仙台東部道路を超え、国道45号線を超えた。


負傷者 重症276 軽傷2,033人。

建物全壊30,034棟 大規模半壊27,061棟 半壊 82,593棟 

一部損壊 116,046棟





東日本大震災が発生したのは2011年3月11日14時46分でした。その日は春らしい天気で、日中は少し暑さを感じる爽やかな一日でした。私が勤務する倉庫にいた時、突然床下から大きな地鳴りが聞こえ、それに続いてゆっくりとした長い横揺れが始まりました。この揺れは体感的にとても長く感じられ、「いつまで続くのか」と不安になりました。立っているのも困難になり、なんとか外に逃げ出しました。何人かは室内に取り残され、特に2階にいた人々は降りてくることができませんでした。私は外で、倉庫の前に止めてあった車に掴まり、周囲を見渡しました。周囲の建物からは土煙が上がり、電信柱や信号機も傾き始め、地面は波打っていました。揺れの時間は場所によって異なりますが、私が体感的に感じた時間は約3分だったと思います。とにかく、それは長いものでした。

地震が収まった後、晴れていたはずの天気が急に曇り始め、大粒の雪が降り始めました。これは普通の事態ではないと感じ、私たちは携帯電話で連絡を取ろうとしましたが、既に繋がらなくなっていました。そこで、私たちはすぐに自宅に戻ることにしました。私は30分で自宅に到着しましたが、ある方は通常40分で到着する距離を、その日は辿り着くことができませんでした。自宅に帰る途中、山の麓にある家々の中には、土留めが崩れたり家が倒壊しているところも見かけました。自宅に到着後、幸い家族の安否を確認することができました。

地震発生時、私たちの教会では避難路の確保のため、玄関前まで出てドアを開けたそうです。教会前のアスファルトは波打ち、電信柱は大きく左右に揺れていたと証言します。私たちの教会は内陸にあるため、海からの直接的な災害はありませんでしたが、それでも震度6強の地震に見舞われました。大きな災害であると感じたため、すぐに遠方の親族に連絡しました。「大変だけれど、無事だから」と伝えた直後、停電が発生しました。居合わせた家族と共に、近隣の方々の安否を確認しました。その際、向かいのお爺さんが冷蔵庫の下敷きになっているのを発見し、救出しましたが、幸い大きな怪我はありませんでした。その後も、独居している方々の安否を確認し、外にしゃがみ込んでいる女性にも声をかけ、安心できるようにケアし「いつでも訪ねてくるようにと」声掛けをしました。同時に、教会員の安否も家族で分担して確認しました。

地震発生時、私たちは以前から心がけていた備えが役立ちました。それは、飲料水の確保(2リットルのペットボトル9本を3箱分)、風呂の水を流さず貯めておくこと、お米のストック(玄米30キログラム)、缶詰や漬物、乾物、即席ラーメン、調味料(例えばマヨネーズ)、トイレットペーパーやティッシュ箱、USBライトやライター、高性能バッテリー(ソーラーパネル付き)などでした。冬であるため、18リットル入りの灯油を3缶常備し、反射板式の石油ストーブ2台(調理にも使用できるので便利)と携帯用ガス缶3セットを備えていました。また、ガソリンは常に満タンにしておくこと(この時は子供たちの車も含めてすべて満タンでした)、薬は置き薬を契約していました。

 

震災直後、私たちの地域では他とは異なり、水道が使用可能でした。都市ガスではなくLPガスを利用していたため、ガス台でお湯を沸かすことが可能でしたが、LPガスの供給元が地震で火災に見舞われ、「いつ供給が途切れるか分からない」との通知を受けていました。長年の契約と普段からの良好な関係により、何とか融通を利かせてもらうことができました。この経験は、日頃からの関係構築が災害時に大きな助けとなることを教えてくれました。

 

私たちの地域では電気が4日間使えない状況で、仙台市内でも一か月以上電気が使えない場所がありました。電気が復旧し、久しぶりにお風呂に入ることができたとき、体調を崩し救急車で運ばれる方が多い状況がありました。このような状況は、長期間にわたるライフラインの途絶や生活環境の変化に適切に対応する準備の重要性を物語っています。災害時には、基本的な生活支援だけでなく、体調管理や健康対策の重要性も再認識されました。

 

大きな災害が起きたその後は何度も余震が起こります。交通手段や道路なども利用はできません。どこもが混乱期なので対応はしてもらえないかもしれません。そんな時、災害がない場所では何らかの手を差し伸べようとしています。通話が不可であっても、以外にSNSが利用できたり、学校や役所などに行くと掲示板があってそこにメッセージを残したりする事ができます。災害用伝言171番などといろいろありますから、災害前に家族や教会などで話し合い安否を残す事を検討されるのも良いかと考えます。

キリスト教災害ネットワークの場合は、先ずは教会と連絡をとります。ですから教会に情報を流しておく事も一案です。教会が被災した場合は、近郊の教会でも大丈夫です。安否を伝えましょう。必ず届くはずです。



志津川湾の朝日

地域支援ネットワーク架け橋

代表 中澤竜生

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